日々の事柄に関する雑記帳。



ニートの日常風景

「フリーランスをやってるけど月収5万円くらいで全然食えない」って言ったらダメっぽいような感じがするけど、全く同じ状況を説明するのに「ニートだけどたまに文章書いてて月に5万円稼いでる」って言ったらすごいような気がする。

フロー体験の構成要素
明確な目的予想と法則が認識できる
専念と集中
注意力の限定された分野への高度な集中
活動に従事する人がそれに深く集中し探求する機会を持つ
自己に対する意識の感覚の低下
活動と意識の融合
時間間隔のゆがみ
時間への我々の主体的な経験の変更
直接的で即座な反応活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される
能力の水準と難易度のバランス活動が易しすぎず、難しすぎない
状況や活動を自分で制御している感覚
活動に本質的な価値がある
だから活動が苦にならない
フロー
何かちょっと物を作ったりすることを楽しみにできる人は貧乏に強い。創作は消費ほどお金がかからないし、作ったものがお金に変わることもときどきあったりする。

中島らも
『教養』とは学歴のことではなく、『一人で時間を潰せる技術』のことでもある。
会社に自分の時間を売ってお金を得たけれど、その得たお金でまた時間を買い戻しているだけのような気がした。

ニートのこれから

自己責任と、それ以外の自分でどうしようもないことの割合は50%50%くらいだ。だけど、今の日本社会では9割くらいが自己責任に押し付けられているように感じる。
ゲーム風に言うと「人生は初期設定によって難易度がイージーかベリーハードかが違い過ぎるクソゲーなんじゃないの」ということだ。
自己責任論を言う人たちは、そもそもある程度恵まれた環境で育って、たまたま予想外のアクシデントにも合わずにこれまでの人生を送ってこられたせいで、そうじゃない人生のことが想像できていないんじゃないだろうか。
レアケースを一般化してはいけない。ゲームをベリーハードモードでクリアした人が何人かいたからと言って、ベリーハードモードに挑戦した人の平均得点が低いという事実は変わらない。一部のレアケースを取り上げて「努力次第で何とでもなる」というのは、環境の違いによる格差を個人に責任転嫁して、個人を追い詰めてしまうことになるのであまり良いことじゃない。
結果の平等頑張った人も頑張っていない人も得られる結果は同じ、格差は存在しない。
機会の平等全員の初期条件や得られる機会は同じである必要があるが、その後は個人の頑張りによって格差はあってもよい。
機会の平等というのは本当に実現されているんだろうか。本当に誰にでも同じように頑張れば成功できるチャンスはあるんだろうか。それは嘘じゃないだろうか。先に言ったように、人間が成功できるかどうかはかなりの部分が環境に影響される。そもそもの与えられた初期条件が違い過ぎる。

ダグラス・アダムズ
  1. 自分が生まれる前からすでに世の中にあるものは、すべてごく普通のものである。
  2. 生まれてから30歳になるまでの間に発明されたものは、すべて途方もなく刺激的で創造的であり、運が良ければそれが一生の仕事になる。
  3. 30歳以降に発明されたものは、全て物事の道理に反していて文明の終末の予兆である。ただしその後、それが身の回りにあって十年ほど経つうちに徐々に問題ないものであると分かるのだが。
「まだ動いていないもの」

働かざるもの食うべからず
この言葉はソ連を作ったレーニンが新約聖書を引用して言い出したもので、もともとは働かない怠け者を批判するための言葉ではなく、働かずに労働者を搾取して肥え太っているブルジョア(金持ち)を攻撃するときに使われた言葉だった。
そもそも変なところは、「働かざるもの食うべからず」という言葉で批判されるのは貧乏人の怠け者ばかりで、もともと金持ちだから働かなくても生きていけるという人はあまり批判されないことだ。
「働かなくてもたべていけるならみんな働かなくなって社会が崩壊してしまう」と言っている人は、「働かないと死ぬ」という強迫によってみんなが働いていて、それで社会が支えられていると思っているんだろうか。強制とか罰でしか人を動かせないのは愚かなシステムだと思う。
タグ

管理人/副管理人のみ編集できます