日々の事柄に関する雑記帳。




家を出て街に遊ぶ

今の家に引っ越してきて一番初めに調べたことは近くの店で半額シールが貼られ始める時間帯だった。これは貧乏人が都会で生きていくための基礎知識だと思う。
人は自分の生き方を全部自分で決めるわけじゃなくて、たまたまそのとき目の前に出てきたものに左右されて生きていくことが多い。でも多分、それでいいのだ。そうしたランダムさこそが人生の醍醐味なのだ。

移動時間が好きだ

人間は年をとっても本質的には変わらないものだと思う。 ただ、もし一つ変わったことがあるとすれば「外の世界に期待をしなくなった」ということかもしれない。10代の頃は部屋にこもりつつも、なんか外の世界に対する焦りや期待やあこがれがあった。 その頃はまだ、世界はこんなにつまらないものであるはずがない、冴えない自分の人生を劇的に変えてくれるものがどこかにあると信じていた。今の自分がたまたま持っていないだけで、その「何か」を手に入れればもっとうまく、もっと楽しく生きられるはずだと思っていた。
結局のところ、そのあたりの憧れていたものを実際に手に入れても、世界も自分も大して変わらなかった。人生を劇的に変えてくれる「何か」なんて存在しなかった。まあそういうものだ。
結局、自分が欲しいものは最初からすべて小さい部屋の中にあった。外に何かを求める必要はない。 ただ、同じ空間にずっといると飽きてしまったりするから、ビジネスホテルに泊まるみたいにときどきちょっとだけ環境を変えてやって、何か少し世界に新鮮味があるような錯覚を自分に与えてやればいいんだろう。大体世界に画期的な変化なんてほとんど起こらなくて、ほとんどは自分が少し世界の見方を変えることで何かが変わったような気がするだけだ。

社会の隅をふらふら歩く

不動産というのは自ら放棄することができない。つまり、誰かが買い取ってくれなければ、死ぬまでずっと維持費を毎月数万払い続けなければいけないということだ。要は激安物件というのは、他人に維持費を払う義務を押し付け合おうとする「ババ抜き」みたいなものなのだ。
僕の話を含めてこれらの話から分かる教訓としては、 「別荘という単語を聞くとなんかテンションが上がるけど、実際買うとほとんど行かなくなって維持費だけがかかる」 「それでも別荘が欲しいなら、とりあえず賃貸でしばらく借りてみて、通い続けられそうだったら買えばいい」 といったところだろうか。 ただ、別荘を別荘として使うのではなく本気で移住したい場合は、別荘地を安く売っている物件を買うのはありかもしれない。田舎に住むと、地元の人たちとの近所づきあいや地域のしがらみが避けられないものだけど、別荘地ならよそ者ばかりなのでそう言ったわずらわしさが存在しないからだ。 ただし、リゾートマンションの場合は、「あくまでも別荘としての利用に限るもので永住は禁止する」という規約が存在する場合があるので注意が必要だ。(ただしこれも法的拘束力があるわけではないので、実際いつの間にか住んじゃう人が多かったりするという話もある)。
重要なのは音だ。処理しきれないほどの音。頭の中がよくない思考でぐちゃぐちゃになっているときは、何も考える余裕がないくらいの騒音に頭を浸せばいい。余計なことばかり考える頭の回路なんて轟音で焼き切れてしまえ。 腐った脳を音の洪水で洗濯してリセットするようなイメージだ。
パチンコというのはゲームの一種なのだけど、ゲーム性が全くないゲームだ。価値前にプレイヤーの技術や戦略が介入する余地はなく、ただ運や確率だけで当たりか外れかが決まる。パチンコというのは、「300回に一度当たりが出るサイコロを振り続けるだけのゲーム」と言っていい。
そもそも人間は、単純にサイコロを振るだけと言った確率だけのゲームでも楽しむことができる。その理由は、人は全く意味のない偶然にも意味を見出してしまう生き物だからだ。
その運や不運に理由や法則を探し始める。そうした深読みをすることで、人は単なる確率に左右されるだけのゲームを楽しめるのだ。 人は無意味に何かが起こることに耐えられない。なぜならば、無意味を無意味としてそのまま受け止める心の強さがないからだ。 この世界なんて本質的に無意味で出鱈目なことがランダムにいろいろ起こっているだけなのに、人はどうしてもそこに理由や法則や誰かの責任や天の啓示を探してしまう。 特に理由のないサイコロの出目に理由を見つけようとするのと、特に理由のない人生や世界にそれが存在する理由を求めようとするのは同じことだ。前者はギャンブルと呼ばれ、後者は宗教と呼ばれる。神という存在はこの世の説明不可能なものを説明するために発明された。「無意味な出来事に意味付けを探してしまう」という点で、ギャンブルと宗教は本質的に同じものなのだ。
彼が山谷に行ったのは、生活保護を受けるためには個室の住居が必要だからだ。 大体日本の制度というのは家族を生活の基本単位として考えているので、生活保護も個人単位ではなく世帯単位で支給される。そして、同じ家に住んでいると一つの世帯と見なされてしまう。。つまり、個室で区切られていないシェアハウスでは全員が一つの世帯と扱われてしまい、そのうちの誰か一人でも収入があると生活保護が受けられないのだ。 ドヤの居室は三畳一間という劣悪な環境だけど、個室として区切られているため生活保護支給対象の単位となる。
タグ

管理人/副管理人のみ編集できます