日々の事柄に関する雑記帳。





ギャンブル
  • 自分の実力や資金の「分」を超えたお金を賭けること
  • 期待値がマイナスなことにお金を賭けること
宝くじで1等に当選することも、隕石が落ちてきて生命を落とすことも、人間ひとりの人生では普通は1回も起こらないようなレアなことだって、起こる可能性はあるのです。ただし、確率通りに収束するには、あまりに試行回数が少なすぎるのです。

2つの結論
期待値が上がるのなら、少しでもいい結果を得られるのなら、限界まで、ひたすら真剣に努力する
考えたところでどうしようもないこと、悩んだところで期待値が上がらず、良い結果に結びつかないことは、考えない

本当のリスクマネジメントとは

確率的に計算すれば100倍の開きがあることでも、体感できないために認識が狂ってしまう
100万分の1の事象と、1億分の1の事象の差を、人間的に体感することはほとんど不可能です。どちらも滅多に起こらないことです。そして100万分の1のことを経験していない人が、1億分の1の事象に遭遇してしまうことも、起こり得ます。

独立事象=ある事象と別の事象の間に確率的な影響はない
リアルな世界、リアルな人生は、麻雀とは比較にならないくらい収束せず、ギャンブル的です。

収束しないギャンブルをしているということを認識しているかが重要
ほとんどの人が体感できないことを、自ら考え、計算することで、少なくとも考えていない人よりは深く理解することができます。

チャンスを引き寄せる確率的な思考力

確率的な思考に親しんでいない人の問題
  • 起きた事象がある確率における出現率から考えてどうなのかという価値判断がない
  • 都合のいいことだけを無意識のうちに選んで、頭にイメージを強く刻んでしまう

ある時点の結果=運+実力
  • 運は自分では変えられない
  • 大切になるのは実力
試行回数を繰り返していれば、運はある程度万遍なくやってきて、結局は大体収束して実力通りになる
「今日はツカないから慎重にいこう」とか「流れに乗って勢いでどんどんいこう」などという発想を独立事象に持ち込んでしまうことは、ただのノイズにしかならず、正しいプレイをする邪魔をするだけ

なぜ目の前の幸運、不運を判断してしまうのか
  • 世の中の事象は複雑すぎて確率が上手く計算できない
  • 確率が分かっても、それに対する試行回数が全く不足しているため、客観的な分析がしにくい、できない
  • 人間は基本的に自分が見聞きしたり経験したりした数少ない事象に引きずられてしまう
自分で経験したこと、自分で見たこと、聞いたことに人生を縛らてしまい、経験していないことを想像できない
たとえ適正なコストをかけてリスクを排除していたとしても、想定するスパンが長すぎたために、多くの人は本質を見失ってしまう

お金を持っていた方が有利と考える理由:何かをするときの選択し、オプションが増える

経済的自由≠働かなくても済む状態
経済的自由=やりたいことだけを一直線に取り組むために自分を他の面倒なことから解放する

将来の漠然とした不安のためにお金を貯める→自分自身の価値が将来向上することを信じ切れいていない

「お金」との正しいつき合い方

最大化すべきは、「お金」ではなく「幸福」
リスクを取る目的≠お金を増やす
リスクを取る目的=幸福を極限まで高める
お金と幸福が正比例している段階でお金を疎かにすれば、結局は幸福の最大化も失敗してしまいます。
人は自分に向いていて、自分が幸福を感じる道を選ぶべきです。それがお金を稼ぎやすい分野や職業であれば幸運であり、よりお金持ちになりやすい
好きなことならば、他にどんな悪条件があろうと、やらざるを得ない

最大のリスクとは何か

世の中は全くフェアではない

ある人が持って生まれた才能がどのくらいなのか。そして、その人がどこまで努力できて、どんな結果を招くのか。そこには、どんなにまじめで真摯であろうと、越えられない壁が厳然と存在しています。限界まで努力したのに、頑張ったのに、才能があるだけで大して努力しているようには見えない人間に完敗してしまうことなんて、当たり前にある得ることです。
持って生まれた才能は、全くフェアではありません。
どんなに努力しても追いつけないこと、届かないこともある、という状況は、事実存在する。
そして最悪なのは、どんなに才能に差があっても、まじめにコツコツ、歯を食いしばって頑張れば必ず勝てる、などという発想です。これは時間の無駄で、残酷ですらあると感じます。

努力だけではトップレベルには到達できない

実力を競い合う世界では、幸運・不運による影響があろうと、おそらくどんなジャンルでも、努力だけでトップレベルに到達できることはないと思います。
分野や世界、種目によってトップレベルや食べていけるまでのレベルへの到達のしやすさに差がある、ということだけです。
辛くても努力をしているから活躍できるのだ、正しく努力すれば必ず活躍できるのだ、と考えがちです。しかし、それは間違いです。
努力しなければその位置に到達できないと思うことで、努力していない自分を諦める口実にしたいだけなのです。
トップレベルの争いは、稀有の才能に努力がプラスされているのであって、努力だけで一流に到達できるほど甘い世界ではありません。

楽しい努力こそが正しい

「辛い努力」などしない方がいいと思います。努力は楽しくあるべきです
辛いと思っている以上おそらく向いておらず、幸せに思っているときほど実力も伸びません。
自分のしていることが「努力」に見えるのであれば、苦痛は努力することではなく、むしろ努力できない状況の方なのです。

練習量=結果ではない

練習量≠結果
練習したほうが、練習量が多いほうがいいことは分かっているし、練習を止めてはいけない。しかし、練習したからといって、良い結果が出てしかるべきと考えるのは安易なのです。
よく努力こそが絶対的な価値と勘違いされてしまうのは、プロの平均よりもはるかに低いレベルでの経験しかないからです。
一定レベルの才能がある人がそこそこのレベルに行き着くまでの過程では、練習しただけうまくなりますし、それなりに結果はついてきます。
自分よりも才能に溢れ、適性があるライバルは、自分ほど努力しなくても軽々と自分を超えていってしまうことも、受け入れなければなりません。

必要なのは「失敗」か?「挑戦」か?

勝負を降りることで得られる「勝利」もある

ポーカーとはある意味では降りることでもあり、小さく負け続けること、負けを小さくし続けるゲームでもある
実はポーカーでは、8割のハンドは降りています。つまり勝負を放棄し、最小限のチップを失うことでそれ以上の損失を抑えにかかっているのです。見方によっては、それは小さな「敗北」になるのかもしれません。
降りることが確率的に合理的
勝負しても不利なら、有利な局面が来るのをじっと待つだけ
大きく負けても仕方がない局面で小さい敗北で済んだということは、ある意味勝利したと考えることもできるのです。

合理的思考で判断する

「これは参加したほうが期待値が高いだろう」と思うハンドは、ならせばだいたい2割くらいで、残りの8割は「降りたほうが得だ」と思うだけです。
時には、全く勝負できない手ばかりが続き、ずっとゲームに参加できないまま過ごすことだって起こり得ます。
自分がどんな才能を持って生まれてくるかは運以外の何ものでもありません。
期待値的に割に合わない投資をするプロはいませんし、期待値が高いと判断できるような局面をみすみす見逃すことが多いようではプロとしてやっていけないでしょう。そこに好みとか、嬉しい、悔しい、という感情は基本的に持ち込まないほうが良いのです。
リスクに見合う範囲で期待値が最大になる行動を常にとる
確立と期待値に生きる自分としては、そのこだわりや哲学が、果たして合理的な思考になっているかどうかだけは、常にチェックしておき、その上で判断するのが良いと思います。
合理的ではない発想で自分を縛り付けたり、人目を気にして痩せ我慢をしてたりしているのは、ほとんど最悪に近いと思います。
効率良く得たいのは、すでに述べた通り「幸福」です。
その行動が、長期的に自分の幸福を最大化できるかどうかを考えればいいだけ

「失敗」は確率的な事象に過ぎない。失敗を恐れず「挑戦」せよ。

ある時点での失敗はただの失敗であり、ある確率で起こる事象の一つ

ミスをしても必要以上に自分を責める必要はない

後で検証しているときに初めて気づいたことであれば話な簡単です。それは、それ以前の自分の能力ではできなかったこと、思いつかなかったことなのですから、気づいたこと自体が成長の一つの過程であって、次回以降有効に活かせればいいわけです。
ミスはある一定の頻度で必ず起きます。問題はその頻度が高いか低いかであって、ミスがないことだけを合格点とするのは、あるいはミスがないことを前提にするのは、ポーカーに限らずどんな分野でも間違っていると思います。
不完全情報ゲーム対戦相手がどのような手札を持っているか分からないゲーム
例:ポーカー、麻雀
完全情報ゲームすべての情報を両対局者が共有している。
例:囲碁、将棋
「不完全情報ゲーム」における勝負事の結果は、自分の努力や、ミスをしたかどうかだけでは左右されません。ミスがなかったと思うこと自体、大いなる勘違いです。
同じパターンとして、ただラッキーで勝ったことを検証せずにいると、実力と勘違いして過信してしまうケースもあります。

マイナスもプラスも、そのまま受け取る

どんなに間違えてもいいよ。前に教えたことをまた間違えたって、一度覚えたはずのことを忘れたって、決して怒らない。それは保証するから、授業中はしっかり、どんどん発言してください。ただし、絶対にしてはいけないことは一つだけ。それは、他の人の勉強を邪魔することです。

自ら選択する生き方

将来を不安視しても意味がない

自分の能力を最大限、精一杯発揮しようとした場合、それを適用することができる分野や種目は大概の場合、一つに限定されますし、またそうしたほうが効率がいいからです。

他人の価値観に惑わされない

プロの仕事は上位1%に入ることからスタートです。
東大に入るということは、学力という面で上位1%に入った、というだけのことです。
東大に入ったからすごいのではなく、そこをスタート地点としてさらに先に進めなかったら何もすごくない。東大に入って内部から東大生を見ると、そのことはよく分かりますし、一方でとてもかなわないと思えるようなスーパー東大生にも出会うこともあります。
東大と一括りにすることは、入ってからの努力をしない人を過大評価し、入った後に素晴らしい結果を出している人を過小評価してもいるのです。
人生で起こるあらゆることは、試行回数が少なすぎるために予想することはほとんど不可能です。将来何が起こるかなんて現時点では分からないし、将来の自分を、今の自分が頑張って決めようとする必要もないのです。

他人の意見に「聞く耳」を持つ

他人が自分と異なる頭で考え、しかもその他人がわざわざ教えてくれることには、当然それなりの価値があると期待できるのです。

外野の批判は気にしない

外野の批判が、当人にとってプラスになることはほとんどありません。
参考になる意見があれば受け入れればいいのですが、結局はただ難癖つけたいだけ。相手のための意見ではないことがほとんどです。

不安を消し去る方法

考えても答えが出ないことを考えるのは無価値である

どんなに考えても答えは出ないのだから、そのことを考える価値はない
答えがないことは考える価値がないから考えない
考えても答えが出ないことを考えるのは無価値
考えるべきことはひたすら考え、考えても仕方のないことは放っておこう

後悔の念に心を縛られるのは、無価値なものに拘束されていること
過去に自分が行った決断は、変えることができません。たとえそれが間違いであったとしても。
そこに反省はあっても、後悔はありません。後悔は悩みと同じです。後悔したところで何ら現状は改善しません。
誰にも将来のことは分かりません。漠然と不安に感じるだけならば、そのことは考えても無価値です。

自分にとってのベストを尽くす

人生は収束しないため、何がベストかなんて、絶対に分かりません。分からないことは考えても仕方がないのです。

人事を尽くして天命を待つ

人生はポーカーよりもずっと複雑なゲームです。
しかし、何もないことがほとんどでしょう。
圧倒的に何も起きない確率が高いからです。
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